第6講 契約の成立

岡山商科大学法学部准教授 倉持 弘

ここでの重点

第1節 契約の成立

「契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。」(第522条第1項)と規定されている。たとえば、AがBに対して「自分の持つ家を1000万円で売る」という意思表示(申込み)をし、その申込みに対して、Bが「その家を1000万円で買う」と承諾すれば、契約は成立する。もちろん、Bが「800万円なら買う」と言ったときは契約は成立しないが、そのBの「800万円なら買う」という意思表示は新しい申込みとみなされ(第528条)、それに対してAが承諾すれば「800万円で売る/買う」という内容で契約は成立する。契約の内容について何回もやりとりをした上で合意が成立するということもあるが、そのような場合に、どれが申込みでどれが承諾なのかを特定する意味はないので、契約を締結しようとする当事者間で意思表示が(内容的に)合致したときに契約は成立すると言われる。

前講で述べたように、売買は合意だけで成立する諾成契約であり、契約書を作成しなければならないわけではない。では、契約書を作成することにはどういう意味があるのだろうか。一つは、契約を締結したことの証拠としての意味である。締結した契約に関連してトラブルが生じ、裁判になったような場合、裁判は証拠に基づいて行われることになるので、契約を締結したことの証拠をきちんと用意しておくことは重要である。しかし、商店で商品を購入しその場で代金を支払って、商品を受け取る場合(現実売買)には後でトラブルを生じる可能性も少ないので、わざわざ契約書を作成する意味はあまりないことになる。一方、不動産の売買のような場合には、契約を締結した日にすぐに代金を支払って不動産の引渡しを受けるということはあまりなく、それらは後日となることが多い。そうすると、契約を結んだのに代金が支払われないとか、購入した不動産が引き渡されないといったトラブルが生じる可能性が出てくるので、契約を締結した証拠として契約書を作成しておくことが重要となってくる。

第2節 意思と表示の不一致

意思表示において書き間違い・言い間違いなどにより心の中で思っていたこと(内心の意思、真意)と表示(表示から推測される意思)とが食い違うことがある。このような場合を意思と表示の不一致、あるいは表示に対応する意思がないという意味で「意思の不存在」(第101条)という。

たとえば、AがB所有の建物を「『1000万円』で買いたい」(壱千万円)と思い、それを手紙に書いたが、その際に誤って「『10000万円』で買いたい」(壱億円)と書いてしまった。その手紙を見たBは「希望の値段で売却する」と返事を出した、といった場合である。この場合、壱億円での売買契約の成立を認め、AはBの建物と引き換えに壱億円を支払わなければならない、とすべきであろうか?第4講で述べた通り「契約とは、当事者の意思の内容通りの法律効果を生じさせる法律要件である」ということから言えば、Aは壱億円で買いたいと望んでいるわけではないので、壱億円での売買契約は法的な効力を持たない(無効)とすべきであるように思われる。しかし、Bの側から見た場合、たとえばAからの手紙と同じころにCから「1200万円で買いたい」という手紙が来ていたが、Aの方に売ることにしてCからの申込みは断ったというようなこともありうるから、Aとの契約は無効であるとされてしまうとBの方が不測の損害を被る可能性が出てくる。そもそも外部に表示されていない心の中の意思を他人が知ることは不可能であるから、法律行為においては(心の中の)意思を外部に表示する意思表示が不可欠とされているのであり、また意思表示をする者(表意者)は自分の意思が正しく相手に伝わるように表示すべきであると言える。さらに、この例のような場合には契約は無効であるというのが法律であるとしたら、意思表示の相手方は、その意思表示が本当に本人の意思に沿ったものなのかを十分に確認した上でなければ安心して契約を締結できないこととなり、取引に時間がかかるようになるという問題も生じてしまう。このように、真意とは異なる表示をしてしまった者(A)と、その表示を信頼した者(B)の利害をどのようにバランスをとるかというのが「意思と表示の不一致」の問題である。

では民法はどのように規定しているかを見ていくことにするが、その前に専門用語を2つ覚えて欲しい。ある事情を知っていることを「悪意」と言い、知らないことを「善意」という。善・悪という漢字が使われているが、道徳的な善・悪とは関係なく、単に知っているか、知らないかという意味でしかないので注意が必要である。さらに、知らない場合(善意)は、周囲の事情などに注意していれば知ることができた場合=不注意で知らなかった場合(善意・有過失)と、注意していても知ることができなかった場合(善意・無過失)に分けられる。

第2節1 心裡留保

第93条第1項は「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。」と規定している。第93条第1項の中には文が2つあるが、このように後ろの文が「ただし」(但し、但)で始まっている場合には、後ろの文を「ただし書」(但書)といい、前の文を「本文」という。なお、1つの項の中に文が2つあっても、後ろの文が「ただし」で始まっていない場合には、前の文を「前段」、後ろの文を「後段」という(文が3つある場合は「前段」、「中段」、「後段」という)。規定の内容の話に戻ると、第93条は「真意ではないことを知ってした」、つまり意図的に虚偽の意思表示をした場合であり、真意を心の中にとどめているという意味で「心裡留保」(シンリリュウホ)という。「裡」には「中」という意味がある。「心理」ではないので、変換ミスには注意して欲しい。第93条第1項本文は、そのような場合であっても「その効力を妨げられない」、つまり表示通りに効力が生じると定めている。しかし、第93条第1項ただし書は「相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り」(悪意)、または「知ることができたとき」(善意・有過失)は、「その意思表示は、無効とする」と定めているので、表示通りに効力が生じるのは相手方が「表意者の真意ではないことを」知ることができなかった(善意・無過失)場合だけということになる。このように規定されている理由としては、表意者が意図的に虚偽の意思表示をしている場合、つまりウソをついているような場合には表意者を保護すべきとは言えないということが一つである。一方、相手方が、その意思表示が表意者の真意ではないことを知ることができなかった(善意・無過失)、つまり表意者の真意によるものであると過失なく信頼した場合には、そのような相手方は保護すべきであるから、表示通り効力を生じるとされている(第93条第1項本文)。しかし、相手方が、その意思表示が表意者の真意ではないことを知っていた場合(悪意)や知ることができた場合(善意・有過失)には、相手方を保護すべきとは言えない。表意者・相手方の双方に保護すべき理由がないのであれば、「契約とは当事者の意思の内容通りの法律効果を生じさせる法律要件である」という本来の考え方から、真意に基づかない表示は無効とされる(第93条第1項ただし書)。第93条がそのまま適用された事例は多くないが、同棲していた女性から、別の女性との結婚式の当日の朝に手切れ金・慰謝料の支払いを求められて「2000万円支払う」旨の書面を書いたという例がある。この場合、男性が一般的なサラリーマンであることなどから「2000万円支払う」という表示が真意に基づくものでないことを知っていたか、少なくとも知ることができたとして、その意思表示は無効とされた(東京高等裁判所昭和53年7月19日判決)。

第2節2 虚偽表示

第94条は「相手方と通じてした虚偽の意思表示」(虚偽表示)についての規定である。第93条と区別し「相手方と通じてした」ことを明示するため「通謀虚偽表示」と言われることもある。たとえば多額の債務を負っているAが、自分の不動産に強制執行(差押え)がかけられることを免れるために、その不動産を(本当に売るつもりはないのだが)Bと示し合わせてBに売ったことにするとか、あるいはBに信用をつけるために、Aが自分の不動産をBに売ったことにしてBが不動産を所有しているように装うなどいったことがある。第94条第1項の場合、相手方もその意思表示が虚偽であることを知っているのであるから、相手方を保護すべき理由はない。虚偽の意思表示をした表意者も保護すべき理由はない。両者とも保護すべき理由がないので、「契約とは当事者の意思の内容通りの法律効果を生じさせる法律要件である」という本来の考え方から、虚偽の意思表示は無効とされる(第94条第1項)。しかし、その虚偽の意思表示を真意によるものと誤信した第三者が現れた場合、その第三者は保護すべきであり、それを定めているのが第2項である。第2項は「前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。」と定めているが、この「対抗する」という言葉は「主張して認めさせる」という意味である。たとえば、Aが強制執行を免れるために、自分の所有する不動産をBと示し合わせてBに売ったことにした場合、AとBとの間で(虚偽の)売買契約が結ばれており、AとBがその契約の当事者である。(虚偽の)売買契約の結果、今はBがその不動産の所有者のように見えているので、それを知ったCがBに対してその不動産を売って欲しいと申し込み、Bがそれを承諾してBC間で売買が成立した場合、第94条第1項によればAB間の売買は無効である以上、その不動産の本当の所有者はAであり、(所有者ではないBから買った)Cは所有者となることはできない。したがって、Aから返還を求められればCはその不動産を返還しなければならないということになる。しかし、第2項によれば、Cが善意(AB間の売買が虚偽のものであることを知らない)、つまりAB間の売買は本当のものだと信じたのであれば、善意のC(第三者)に対してはAB間の売買が無効であるとは主張(「対抗」)できないので、Cの方から無効であると認めなければ、Cとの関係ではAB間の売買は有効であると扱われ、そのBから買ったCが所有者となり、AはCに対して不動産の返還を請求できないことになる。逆に、善意のCの方からAB間の売買を無効であると認め、Aに不動産を返還することもできる。つまり、「善意の第三者に対抗できない」という規定は、善意の第三者は、虚偽の意思表示を有効とするか無効とするか、どちらでも自分に有利なように選択して良いとして善意の第三者を保護する趣旨の規定である。なお、AB間の売買が、AとBとの間では無効だがCとの関係では有効であるというのは、おかしいように感じられるかもしれない。しかし、法律上の効果は、物とは違って、誰にとっても同じようにある・なしが定められるものではない。また、法律は人と人との関係を規律するものなので、「人」が違えば異なる扱いがされることもあるということで理解しておいて欲しい。第94条が適用されるとどうなるかを整理しておこう。AからBへ虚偽の不動産売買契約が締結されたとして、Cがその不動産をBから買ったとする。Cが善意であれば、Cの方からAB間の売買は無効であると認めない限り、Cがその不動産の所有者となり、AはCに返還を求めることはできない。AはBに返還を求めることはできる(第121条の2)が、Bは(Cのものとなった)不動産を返還することはできないので、かわりに金銭で返還しなければならない。Cが悪意の場合や善意であるがAB間の売買を無効であると認めた場合には、AはCに不動産の返還を請求することができる。Cが不動産をAに返還した場合、Cとの売買を履行できなくなったBは、Cからの契約不履行を理由とした損害賠償などの請求に応じなければならない。一方、債務を抱えたAが強制執行を免れるために自分の所有する不動産をBに売却したことにした場合、Aに対して債権を持っているSはAB間の売買は無効でありその不動産はAの所有物であるとして、その不動産に強制執行をかけることができる。ただし、その不動産が善意のCに転売されていた場合には、Sも善意のCには無効であるとは主張できない。

2017年改正前は、第93条(心裡留保)には第2項がなかったが、改正により第94条第2項と同じ規定が第93条第2項に設けられた。第93条第2項についても、上記の第94条第2項について述べたことがあてはまる。なお、第93条では、(真意ではない)意思表示の直接の相手方は善意・無過失の場合にのみ保護される(第1項)のに対して、第三者は善意でありさえすれば保護される(第2項)という点には注意が必要である。

第2節3 錯誤(第1号錯誤)

第95条は錯誤についての規定である。「錯誤」とは「間違い」のことであり、第95条第1項第1号の「意思表示に対応する意思を欠く錯誤」は、ここで述べている「意思と表示の不一致」の一つである。ただし、第93条、第94条が表意者が意図的に虚偽の意思表示をしている場合であるのに対して、第95条第1項第1号は間違って真意とは異なる意思表示をした場合であるから、表意者をまったく保護しなくてよいとは言えない。そこで、一定の場合には錯誤者は意思表示を「取り消すことができる」とされている。取り消された意思表示は無効となる(第121条)。「取り消すことができる」と規定されているのであるから、錯誤者は取り消さないこともできる。民法は、錯誤者に取り消すか取り消さないかの選択権を与えるという形で錯誤者を保護しているのである。しかし、いったん契約を結んだのに細かな点に間違いがあったとして相手方から取り消されてしまうようでは契約を結んだ意味がなくなり、契約という制度そのものに対する信頼性が失われてしまう。そのため、錯誤が重要な点にあった場合にのみ錯誤を理由として取り消すことができるという限定が加えられている(第95条第1項柱書)。また、契約が取り消されれば、その契約がきちんと履行されると信じていた相手方が不測の損害を被ることがありうるので、その錯誤が錯誤者の「重大な過失」(著しい不注意)による場合には、相手方に損害を与えてまで錯誤取消しを認めるのは妥当ではないとして、原則として取消しは認められない。しかし、相手方がその錯誤に気が付いていた場合や、相手方も同じ錯誤に陥っていた場合には、相手方に配慮する必要はないとして取消しが認められる(第95条第3項)。第2号の錯誤については次の講で扱う。


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