契約とは「法的な効力を生じる約束である」ということができる。「法的な効力」を生じない約束は、契約と区別するために「道徳上の約束」などと言われる。
この法的な効力として分かりやすいのは、相手方が契約から生じた義務(債務)を履行しない場合には、①強制的に履行させる(強制履行、強制執行)、②履行しないことによって生じた損害の賠償を求める、③契約を解除する、といった法的措置をとることができるということである。たとえば、友達同士で遊びに行こうと日曜の正午に駅前で待ち合わせをしたとする。しかし、相手が時間通りに待ち合わせ場所に来なかったとしても、損害賠償を請求するといったことはできない。これは友達同士の待ち合わせが道徳上の約束であって法的な効力を生じる契約ではないからである。一方、久しぶりに多くの親戚が自宅に集まることになったので、その日にプロのカメラマンに来てもらって記念写真を撮影してくれるよう依頼したとする。ところが、その日にカメラマンが来なかったとしたら、こちらの方は、法的な契約であり、損害賠償の請求などができることになる。
法的な効力の2つ目めは権利・義務の変動(発生、消滅、移転など)を生じることである。たとえば、商店から商品を購入した場合、それによってその商品の所有権が商店(売主)から買主に移転することになる。もう少し細かく見ていくと、売買の場合、契約が成立すると売買の目的物の所有権が売主から買主に移転し、買主は売主に目的物の引渡しを求めることができる債権(売主側から見れば債務)を獲得する。逆に売主は買主に代金の支払いを請求できる債権(買主から見れば債務)を獲得する。そして、それぞれの債務の履行として、売主は買主に目的物を引渡し、買主は売主に代金を支払い、債務が履行(弁済)されたことによってそれらの債務は消滅することとなる。コンビニエンスストアなどで商品を購入したときは、その場で代金を払って商品を受け取るので、債権の発生⇨履行⇨消滅という過程が見えにくいが、土地や建物の売買を思い浮かべてもらえると分かりやすいのではないだろうか。そのようなこともあり、契約の代表は売買であるが、その売買の代表例としては土地や建物の売買を思い浮かべて考えるとよい。
法的な効力の3つ目は、いったん成立した契約は原則として一方的に解消(解除)することができないことである。これを契約の拘束力という。「原則として」なので、例外的に相手方が債務を履行しない場合には契約を解除することができる。また、「一方的に」解除できないのであり、双方の合意で契約を解除することはできる。たとえば、売買が成立すると買主は商品の引渡しを求めることができる債権を獲得し、売主は代金の支払いを請求できる債権を獲得するが、売主・買主の合意で、それらの債権を消滅させることができる(合意解除)。この合意解除は権利を消滅させる合意であるから、一種の契約である。
このように契約からは大きく分けて3つの法的効力が生じることとなるが、ではその法的効力、とりわけ国が実力を行使してでも契約の履行を強制してくれるのは、なぜだろうか。1つは、契約を締結した当事者がそれを望んだからであるとして、「当事者の意思」をその理由としてあげることができる。「契約の効力は当事者の意思に基づく」という考え方は、個人の自由を重視するようになった近代以降に強くなったものである。「自由」には「他人から強制されない」という意味があるが、逆に「強制される」=「義務がある」とすれば、それは自分の意思で義務を負ったからであると考えるのである。なお、私人の関係だけでなく、国家の権力も個人の意思に基づくものとして説明する考え方が社会契約説(市民が自分の意思で契約を結んで国家を作ったという考え方)である。契約が法的効力を認められる理由の2つ目は、契約を結んだ相手方の「契約が守られることに対する信頼・期待」である。契約を結んだにもかかわらず相手方が契約を守ってくれなければ不測の損害を生じるおそれがある。そこで、そのような損害を被りかねない状況におかれた者を保護するために、国がその実力を行使して、強制的に履行させたり、損害賠償をさせたりするということである。そして、このように契約が守られることを国が保護しているというのが、契約に法的効力が認められる3つ目の理由である。現在の日本では、生活に必要な財やサービスは、多くの場合、契約に基づいて供給される。具体的に言えば、市民はスーパーやコンビニエンスストアなどの小売店から食品や生活用品を購入している。そして、小売店は卸売店から商品を購入し、卸売店はメーカー(製造業者)から商品を購入している。そのような状況において、それらの契約が守られなければ市民生活には大きな混乱が生じることになるであろう。そのようなことにならないように、国は契約が守られることを保護しているわけである。契約に法的効力が認められる理由としては、以上の3点があげられる。また、この考え方がある種の契約が法的効力を認められるべきか否かを考える際に影響があるので、しっかりと理解しておいて欲しい。
この節の最後に「契約とは、当事者の意思の内容通りの法律効果を生じさせる法律要件である」ということを説明する。第3講で述べた不法行為の場合、第709条の要件が満たされれば加害者は損害賠償義務を負うという効果が生じることになるが、この効果は当事者(加害者)がそれを望んでいたか否かにかかわりなく生じる(通常は、望んでいないことが多いであろう)。犯罪が行われた場合の刑罰が科されるという効果についてもそうである。このように、法律一般について見れば、法律効果は当事者がそれを望んだか否かにかかわりなく生じるという場合が多い。しかし、契約が締結された場合、そこから生じる法律効果は、契約を結んだ当事者の意思の内容となる。たとえば、Aが自分の家をBに1000万円で売るという契約を締結した場合、それによってAは自分の家をBに引き渡す義務を負い、Bに代金1000万円を請求できる権利を得る。Bは代金1000万円を支払う義務を負い、Aの家の引渡しを求める権利を得る。A・B間で契約が締結されたという要件が満たされたことによって、その契約において示されたA・Bの意思の内容通りの権利・義務の発生という効果が生じるのである。このような「当事者の意思の内容通りの法律効果を発生させる行為」は、契約だけでなく、遺言(イゴン、ユイゴン)もそうである。たとえば、Aが「自分が死んだら遺産はすべて『あしなが育英会』に寄付する」という遺言をのこして死亡した場合、その遺言の通り、あしなが育英会はAの死後Aの遺産の引渡しを求める権利を得ることになる。契約や遺言などの「当事者の意思の内容通りの法律効果を発生させる行為」を法律行為(民法典第1編総則第5章の表題)という。「当事者の意思の内容通り」の法律効果を発生させるためには、その「当事者の意思」がその人の心の中にあるだけではなく、外部に表示される必要がある。この法律効果の発生を望む意思の表示を意思表示(民法典第1編総則第5章第2節の表題)という。上記のA・B間の建物の売買について言えば、AのBに対する「家を1000万円で売る」という意思表示(申込み)に対して、Bが「家を1000万円で買う」という意思表示(承諾)をすれば、両者の意思表示の合致により契約が成立する。もちろん、「1000万円で売る」に対して「800万円なら買う」と答えた場合には、(意思表示が合致していないので)契約は成立しない。なお、意思表示は必ずしも言葉でする必要はない。たとえば、スーパーやコンビニエンスストアで買い物をするときに、いちいち口に出して「この商品を買う」と言うことはないが、商品を選んでレジに持っていくことで「その商品を買いたい」という意思が相手方に伝わるので、そのような行為も意思表示である。契約の場合には契約を締結しようとする相手方に対して意思表示をすることになる。遺言の場合には特定の相手方に意思表示をする必要はないが、意思を外部に表示する必要はあるので、通常は「書面」で意思表示をすることになる(遺言の普通の方式、第967条以下)。ちょっと注意が必要なのは、専門用語としての「意思表示」は「法律効果の発生を望む意思」の表示であって、単なる「意思」の表示ではないということである。「好きだ」というのは意思の表示ではあるが、法律効果の発生を望む意思の表示ではないので「意思表示」ではない。一方、「結婚しよう」というのは、相手が同意して、婚姻届を提出すれば結婚(婚姻)の法律効果を生じることになるので「意思表示」である。
第2講第1節で少し触れたが、契約については「私人としての法律関係は、私人が契約を締結することで自分の意思で自由に(国家の干渉を受けずに)形成できる」という契約自由の原則が認められる。契約自由の原則には、①契約を締結するか否かを自由に決めることができる(締結の自由、第521条第1項)、②誰と契約を締結するかを自由に決めることができる(相手方選択の自由)、③何をいくらで売買するかといった契約内容を自由に決めることができる(内容の自由、第521条第2項)、④契約書を作成するか否かというような契約を締結する方式を自由に決めることができる(方式の自由、第522条第2項)の4つの自由が含まれる。内容の自由が認められることから、不相当な価格での契約が締結されたとしても、それが騙されたり脅されたりしたのではなく、当事者の意思で定められたものであるならば、契約で定められた価格で法的な効力が認められるのが原則である。また、方式の自由が認められることから、契約書を作成するなどしなくても、つまりは口約束だけでも法的な効力が認められる契約が成立するのが原則である。
前節で述べたとおり、契約に法的な効力が認められる理由の1つに国が保護しているからということがあげられる。そのことから逆に、国として保護に値しないと判断されるような内容の契約は法的な効力が認められない。これを定めた規定が第90条である。たとえば、AがBに「100万円払うからCを殺してくれ」と依頼し、Bもそれに同意したとする。そして、AがBに100万円を支払ったにもかかわらず、BがCを殺してくれないので、Bに契約の履行を強制するように裁判で訴えたとする。このとき、もちろん裁判所はBに「契約を履行せよ」=「Cを殺せ」と命じることはない。その理由として、第90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。」と定めているが、殺人を依頼する契約は「公の秩序又は善良の風俗」(公序良俗)に反する法律行為(契約)であるから無効であり、Bには契約を履行する義務はない、とするのである。「公序良俗」とは一般的な道徳観念であり、殺人契約や愛人契約、賭博契約のような「公序良俗」に反する契約については、国は保護を与えないということを法的に表現したものが第90条である。
契約自由の原則は、経済学でいう市場経済に対応したものである。市場経済では、個々の経済主体(個人や企業)が自由に取引を行い、財やサービスの需要・供給は市場によって調整されるとするものであるから、取引をする主体(契約の当事者)の間に実質的な力の差などがあって自由な取引が期待できないような状況においては、契約自由の原則をそのまま維持することはできないとして、法が一定の規制を加えている。たとえば、金銭の貸し手と借り手との間では貸し手の方が立場が強いため、法的な規制がなければ金利を高くするなど貸し手側に有利な契約となりやすい。そのため、利息制限法などの法律によって契約内容等に一定の規制を加えているのである。同様のものとして、不動産の貸し手と借り手の間の契約については借地借家法が、使用者と労働者の間の契約については労働契約法や労働基準法などが規制を加えている。また、事業者と消費者との間では、事業者側は取り扱う商品について詳しい知識・情報を持っているのに対して消費者側はそこまで詳しい知識・情報を持っていないことから、消費者契約法や景品表示法などによる規制がある。さらに、自由な取引を制限するカルテルなどの不公正な取引については独占禁止法などによる規制があるが、詳しくは「競争社会と法」の講義で聴いて欲しい。
第555条は「売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」と定めている。この規定は、財産権の移転とそれに対する代金の支払いを約束することで売買契約は法的効力を生じるということを定めているとともに、財産権を移転しそれに対して代金を支払う契約が「売買」であって、それにあてはまる契約に対して民法典第3編債権第2章契約第3節「売買」のところに置かれた規定(第556条以下の規定)が適用されるということを定めたものである。
売買は「一方が財産権を移転し、相手方がこれに対してその代金を支払う」契約であり、このように契約の当事者双方が経済的に対価としての意味をもつ給付をする契約を有償契約(ユウショウケイヤク)といい、対価としての意味をもつ給付をしない契約を無償契約(ムショウケイヤク)という。売買だけでなく、賃貸借や雇用も有償契約である。また、銀行や消費者金融から金銭を借りたときには利息を支払うことになるが、利息は金銭を借りたことに対する対価であるから、利息付金銭消費貸借も有償契約である。それに対して、贈与や使用貸借、無利息の金銭消費貸借は無償契約である。たとえば、八百屋から桃を買った(売買)としよう。持ち帰って食べようとしたところ中が傷んでいたとき、買主は売主に対して傷んでいないものと交換することなどを請求することができる(第562条)。しかし、農家からタダでもらった(贈与)という場合には、傷んでいたとしても取り替えるように請求する法的な権利はない(第551条)。このように、一般に有償契約の方が無償契約に比べ重い責任が課せられる。
売買契約が成立すると、売主は財産権を移転する義務を負い、それに対して買主は代金を支払う義務を負う。このように契約の当事者双方が互いに引き換え関係に立つような義務を負う契約を双務契約(ソウムケイヤク)といい、片方だけが義務を負う契約を片務契約(ヘンムケイヤク)という。売買や賃貸借、雇用は双務契約であり、贈与や使用貸借は片務契約である。売買では、売主は買主が代金を支払ってくれるから財産権を移転するのであり、買主は売主が財産権を移転してくれるから代金を支払うという関係にある。そのことから、特別に約束(特約)していない限り片方に先に給付するよう求めることはできない=先に履行するよう求められても拒絶することができる(第533条)。これを同時履行の抗弁(コウベン)という。
第555条にあるように、売買は「約することによって、その効力を生ずる」=約束するだけで効力を生じる契約である。つまり、契約書を作らなくても、手付を払わなくても、口約束だけで売買は法的効力を生じるということである。このような約束するだけで効力を生じる契約を諾成契約(ダクセイケイヤク)という。方式の自由(第522条第2項)が原則なので、民法の定める典型契約*1の多くは諾成契約とされている。それに対して、消費貸借は第587条で「消費貸借は、当事者の一方が種類、品質及び数量の同じ物をもって返還をすることを約して相手方から金銭その他の物を受け取ることによって、その効力を生ずる。」と定められていて、借主が貸主から金銭などを受け取ってはじめて法的効力を生じるとされている。このような物の引渡しがなければ効力を生じない契約を要物契約(ヨウブツケイヤク)という。また、他人の借金の保証人となる契約(保証契約)については、第446条第2項で「保証契約は、書面でしなければ、その効力を生じない。」と定められている。このような書面でしなければ効力を生じない契約を要式契約(ヨウシキケイヤク)という。保証人となろうとする者に、本当に保証人になってよいか慎重に考慮するよう促す趣旨のものである。
最後に、売買の対象となるのは「財産権」である。一般には物の売買が多いが、物の売買とは、法的にはその物の所有権の売買である。また、所有権のような物権だけでなく、債権も売買の対象となる(第466条第1項)。一方、人格権(人の生命・身体・名誉などに関する権利)や身分権(親子間の扶養請求権のような家族法上の一定の地位にあることから認められる権利)は財産権ではないので、売買の対象とはならない。