第2講 刑事法と民事法

岡山商科大学法学部准教授 倉持 弘

ここでの重点

第1節 刑事法と民事法

今まで法律を学んだことのない人が「法律」という言葉を聞いてまず思い浮かべるのは「犯罪」や「刑罰」に関することであろう。そのような「犯罪」と「刑罰」に関する法をまとめて刑事法とよび、刑事法の適用が問題となる事件を刑事事件という。たとえば、刑法第199条は「人を殺したる者は、死刑、又は無期、若しくは5年以上の懲役に処する。」と定めている。この規定のように、どのような行為(「人を殺した」という行為)に対して、どのような刑罰(「死刑、又は無期、若しくは5年以上の懲役」)を科すかを定めた法を刑事実体法(刑事実体法に属する法律には、「刑法」や「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」などがある)という。さて、実際に殺人事件が起きた場合、多くの場合は警察がその事件を捜査し、その結果を検察に報告する(「送検」)。検察官は、それを基に、あるいはさらに独自に捜査するなどした上で、犯罪を犯したと疑われる者(「被疑者」)について、刑事訴訟を提起する。刑事訴訟において犯罪を犯したとして審理の対象とされた者は「被告人」と呼ばれる。刑事訴訟で「被告人」が有罪が無罪かが審理され、有罪であれば「被告人」にどのような刑罰を科すかが決定されることになる。この刑事訴訟や刑罰の手続きを定めた法を刑事手続法(刑事手続法に属する法律には「刑事訴訟法」がある)という。なお、マスコミなどでは、刑事訴訟で訴えられている人を「被告」と呼ぶことが多いが、法律用語としては「被告人」というのが正しいので注意して欲しい。そして、刑事訴訟を提起することができるのは、国家公務員である検察官のみであり、犯罪の被害者などが刑事訴訟を提起することはできない。また、刑事訴訟を経ずに刑罰を科すこともできない。つまり、刑事の問題については、国がどのような行為を処罰するかを定め、国を代表して検察官が刑事訴訟を提起し、また国だけが刑罰を科すことができる(刑罰権の独占)とされている。

刑事事件に対して、私人間の法的紛争を民事事件といい、民事事件に関する法を民事法という。民事法は、夫婦や親子などに関する家族法と契約や損害賠償などに関する財産法に分けられ、このテキストでは基本的に家族法は扱わないのだが、ここでは実例を思い浮かべやすい家族法の例で説明する。AとBが夫婦で、AがCと浮気(「不貞行為」)をしたとする。このような場合にどうなるかは、小説やドラマなどで知っている人も多いであろう。まず、現在の日本では浮気は犯罪ではないので、「暴行」・「傷害」などがない限りはこの問題は刑事事件とはならない。さて、Bは、この浮気を理由にAに対して離婚を求めることができる。Aが離婚に同意すれば、それで離婚は成立する(第763条、「協議離婚」)。Aが離婚に同意しない場合には、Aを相手に訴訟(民事訴訟)を提起して離婚を求めることができ、判決によって離婚が認められることもある(第770条、「裁判離婚」)。それらとは逆に、Bは、Aの浮気を許して(あるいは、目をつぶって)、Aとの夫婦関係を続けるということもできる。また、BはAの浮気相手であるCに対して損害賠償を請求することができる(第709条)。BとCとで話し合って、損害賠償としてCがBに10万円支払うと合意してこの事件の解決とすることができる(「和解」、第695条)。しかし、Cが損害賠償をすることに同意しない、あるいはその金額に同意しないときには、BはCを相手に民事訴訟を提起して損害賠償を請求することができ、判決によってCに損害賠償義務があるかどうか、また損害賠償義務があるとしたらその金額はいくらかが決定されることになる。それらとは逆に、Bは「Cの顔を見たくもない」として、Cに対して損害賠償を請求しないこともできる。離婚をする方が良いか否か、損害賠償を請求する方が良いか否か、どちらが自分の幸福(憲法第13条「幸福追求権」)につながるかは、本人であるBにしか分からないことであり、Bの意思にまかされているのである。もちろん、離婚も損害賠償も相手のあることなので、相手(離婚ならA、損害賠償ならC)も同意すれば、それで最終的な解決となる。一方、相手が同意しない場合には民事訴訟によって解決をはかることになるが、民事訴訟を提起するか否かも私人に委ねられている。民事訴訟を提起した人(この例ではB)は「原告」と呼ばれ、民事訴訟を提起された人(この例ではAまたはC)は「被告」と呼ばれる。法律用語としての「被告」と「被告人」は違うので、注意して欲しい。また、民事訴訟を弁護士に依頼するということもあるが、依頼を受けた弁護士は「訴訟代理人」と呼ばれ、あくまで本人を代理して訴訟を行っているという位置づけである。

上記の例で見たように、離婚や損害賠償などについては当事者の意思に従って処理することが可能である。一般に「私人の法律関係は私人がその意思で自由に定めることができる」とされており、これを「私的自治の原則」(または「意思自治の原則」)という。「私人の法律関係」の代表は「契約」であり、私的自治の原則は、契約の当事者が契約内容などを自由に定めることができるという「契約自由の原則」で代表されることも多い。上記の例の「損害賠償としてCがBに10万円支払うと合意してこの事件の解決とする」というのも契約の一種である(和解、第695条)。一方、当事者の意思だけで離婚をすると決めることができるとか、自分が死んだ後に残る財産を誰に受け継がせるかを自分の意思で自由に決めることができる(「遺言自由の原則」)といったことまで含めて表現する場合には「私的自治の原則」と言われることになる。

民事と刑事の問題については、もう一つ注意が必要な点がある。それは、民事のどういう場合に損害賠償義務があるかということと、刑事のどういう場合に刑罰が科されるかということは、それぞれ別々に定められていて必ずしも一致しないということである。たとえば、刑法第175条にはわいせつ物頒布の罪という規定がある。わいせつなイラストを自分で描いて販売した場合にはこの罪で処罰されることになるのだが、購入した人は自分が欲しくて購入したのであろうから、それによって損害を被ったということにはならないであろう。損害が存在しなければ損害賠償の問題にはならないが、処罰はされることになる。一方、公園でキャッチボールをしていたところ、ボールがそれて、近所に駐車していた自動車のドアミラーを壊してしまったという場合、刑法第261条の器物損壊の罪については、過失(不注意)で壊した場合を処罰する規定が存在しないので、この例では処罰はされない。しかし、民法第709条は「故意又は過失によって」と、故意で(意図的に)行った場合でも、過失(不注意)で行った場合でも、「損害を賠償する責めに任ず」としているので、損害賠償義務は生じることになる。ときどき一つの事件で刑事訴訟では無罪の判決だったのに、民事訴訟では損害賠償を命じる判決が出たといったことがニュースで報道されることもあるが、処罰の問題と損害賠償の問題は、別々に処理されるということにも注意して欲しい。

民事法の問題に戻って、民事訴訟で「被告は原告に対して損害賠償として金100万円を支払え」と命じる判決が出されたとする。それに応じて被告が支払ってくれればよいのだが、被告が自分から支払おうとしない場合、被告の預貯金を差し押さえてそこから支払わせるとか、被告の所有する不動産を競売にかけてその代金から支払わせるといったことを国(国家機関である執行機関)に求めることができる。これを強制執行という。強制執行(や処罰)などの実力の行使は国家が独占し、私人が実力を行使して権利を実現することは認められない(「自力救済の禁止」)。自分が「権利」と思うものを自分の実力を行使して実現することが認められるとすれば、それはいわゆる「万人の万人に対する闘争」状態におちいることになるからである。そして、そのような状態にならないこと、つまり「社会秩序の維持」こそが法の基本的な目的であると言われている。

民事訴訟や強制執行などの手続きを定めた法を民事手続法(民事手続法に含まれるものには「民事訴訟法」や「民事執行法」などがある)という。また、「このような場合には損害賠償を請求できる」というような、私人が他の私人に対して、どのような場合にどのような請求ができるかを定めた法を民事実体法(民事実体法に含まれるものには「民法」や「商法」、「製造物責任法」などがある)という。

民事実体法の代表として、民法と商法をあげることができる。商法は、とりあえず企業活動に関する法と考えれば良いであろう。契約(取引)については、基本的な部分は民法で定められている。しかし、民法の規定は一般市民同士の取引を想定して作られているので、企業同士の取引、たとえばメーカーと卸売店とか、卸売店と小売店との間の取引のような、大量の商品を反復的に取引し、そのために迅速な処理が求められるような取引には必ずしも適さない。そこで、そのような取引に対応する必要もあって作られたのが商法である。その場合、民法の規定をそのまま使えばよいものについては、民法と商法の両方に同じ内容の規定を置いておいても意味はないので、民法とは異なる扱いをする必要のあることについてだけ商法で規定されており、民法と同じ扱いでよいものについては商法には規定がない。つまり、(企業活動に関する事柄であっても)「商法に規定がないものについては民法を適用する」ことになっている(商法第1条第2項)。労働契約法と民法、消費者契約法と民法などについても同様であり、このような関係を「特別法と一般法の関係」という。

第2節 法規定の構造

先ほど述べたように、刑法では「このような行為(たとえば「人を殺した」という行為)が行われた場合、このような刑罰(「死刑、又は無期、若しくは5年以上の懲役」)を科す」ということを定めている。また、民法では「このような場合(たとえば配偶者が浮気をした場合)、このような請求ができる(離婚を求めることができる)」ということを定めている。一般に法律の規定は「○○○の場合、○○○する/○○○できる/○○○しなければならない」という形に整理することができる。この前の部分「○○○の場合」を要件(ヨウケン、または法律要件)、後ろの部分「○○○する/○○○できる/○○○しなければならない」を効果(コウカ、または法律効果)という。そして、裁判官は、証拠などによって事実を認定し、その事実が、ある法律の要件にあてはまる場合には、その法律の効果の部分を(事実に即して具体化して)判決とする。このように事実を法律の要件にあてはめて効果を導き出すことを法の適用(テキヨウ)という。「法律を学ぶ」ときには、その要件と効果に注目して学んでいくことが大切である。

一方、第1講で述べたように、民法財産法はこれまで基本的に明治時代に作られたものが使われていたが、2017年に大規模な改正が行われた。その間の科学技術の発展や人々の考え方・価値観の変化などを考えれば、改正が遅すぎた面もあると言えるが、このように法律は社会の変化に応じて変えていくべきものである。したがって、今の法律の条文を丸暗記したとしても、改正されてしまえば、その知識は役に立たなくなるであろう。大切なのは、なぜ法律はそのように定めてあるのかという理由である。要件・効果だけでなく理由をあわせて理解することで、法律をきちんと把握することができるであろうし、また、理由もあわせて理解しておけば、法律の改正が行われた場合にも、どういう理由で改正が行われたのかを知ることで、改正後への対応も容易になるであろう。さらに、大学などで法律を学ぶ意義は、現在の法律が今の日本社会において適切なものであるかどうかを検討し、よりよい法律を考えることができる能力を身につけることにある。このような能力は、「法律」の制定や改正に直接たずさわる人々(議員や公務員など)にとって必要とされるだけではない。学校にしろ会社にしろ、人間の集団の多くは「規則」に従って運営される。したがって、その「規則」の適否を判断し、あるいはよりよい「規則」を考える能力は市民一般にとって重要なものと言えるだろう。また、それらの「規則」「法律」は、多くの場合、民主的な手続きによって制定されるであろうから、単に自分1人でよい「規則」、よい「法律」を考えるだけでなく、それが「よい」ということを、多くの人に説明し、賛成してもらうための、表現力・説得力も求められる。

ここで特別法と一般法の話に戻るが、特別法と一般法の両方が適用可能である場合(つまり、両方の規定の要件にあてはまる場合)には特別法だけが適用され、一般法は適用されない。これを「特別法は一般法に優先する」という。たとえば、商人同士で金を借りたが利息については合意していなかった場合、民法第589条第1項は「貸主は、特約がなければ、借主に対して利息を請求することができない。」と定めているが、商法第513条第1項は「商人間において金銭の消費貸借をしたときは、貸主は、法定利息を請求することができる。」と定めていて、どちらの規定の要件にもあてはまる。事実が複数の規定の要件にあてはまる場合には、それらの規定すべてが適用されるのが原則であるが、それらの規定の間に特別法・一般法の関係がある場合には特別法だけが適用される。つまり、この場合であれば特別法である商法第513条第1項だけが適用されて、貸主は法定利息(第404条に定められた法定利率によって計算された利息)を請求できることになる。先ほど述べたように、特別法は一般法とは異なる扱いをする必要があることについて特別に定められたものだからである。


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