インターネットが普及しはじめたころ「ネットで調べれば何でもでてくるので、もう勉強なんてする必要はない」というようなことが言われた。しかし、そもそも「調べてみよう」・「知りたい」という意欲がなければ「ネットで調べる」という行動にはつながらないであろう。何か困ったことがあって「どうにかならないか」と思っても、適切な知識がなければ簡単に短時間で調べることは難しい。また、ネット上にある情報はかならずしも「正しい」ものとは限らないので、情報が正しいか否か、自分の求めているものかどうか、を判断できる知識や思考力・判断力が必要である。
もう少し具体的な話をしよう。たとえば「ぶっけん」と入力してカナ漢字変換を行うと、民法を勉強したことのない人(そういう文書を書いたことのない人)の場合には、変換先候補の先頭に出てくるのは「物件」であって「物権」ではないだろう。インターネットの検索サイトは一般の人を対象としているので、単純に「不動産賃貸借」といったキーワードで検索した場合、それで出てくるのは不動産を借りたい・貸したい一般の人向けの情報であって、「不動産賃貸借」についての契約法的な解説などではないだろう。逆に言えば、「契約法」のレポートを書くための情報を得ようと思うならば、検索をかけるキーワードを工夫したり、あるいは検索結果として表示された多くのサイトの中から、レポートを書くのに必要な情報が書かれたものを選び出すための知識や思考力・判断力が必要となる。
逆に、ある程度の知識・思考力・判断力があれば、ネット検索をして出てきたページの中のわからない言葉やさらに詳しく知りたい言葉についてさらにネット検索をかけることで、どんどんと知識を増やしていくことができる。
Chat-GPTのような文章生成AIの利用についても同様のことが言えるであろう。文章生成AIに対して自分が必要とする文章を生成させるための適切な指示(プロンプト)を出せるだけの知識、また文章生成AIが生成した文章が適切かどうかを判断できるだけの知識・思考力・判断力があれば、文章生成AIを便利に利用することができるであろう。逆に言えば、一定の知識・思考力・判断力がなければ文章生成AIを利用するのはやめておいた方がよいであろう。
一方、アメリカで、弁護士が裁判所に提出する文書をAIに生成させたが、そこには存在しない判例があげられているなどの間違いがあったという事件があった。この弁護士は、AIに生成させた文書をまったく見ずにそのまま裁判所に提出したのだろうか。実際にどうだったかは分からないが、それは少し考えにくいように思う。一通り目を通しはしたが、その文書の間違いには気がつかないまま裁判所に提出してしまったのではないだろうか。日本語で言えば「てにをは」がおかしいとか、用語の使い方が正しくないといった、文章上の間違いについては簡単に見つけることはできるだろうが、文章生成AIが出力するような文書ではそういった間違いはまず存在しないであろう。そして、文章としては間違っていない文書の中に情報の間違いがないかをチェックするというのは、なかなかに難しく、時間のかかるものでもある。つまり、ある種の文書については、文章生成AIに生成させた後で人間がそれをチェック・修正するよりは、最初から人間が書いた方が効率的なものもあるのではないだろうか。