第5講で述べたことであるが、不動産については登記制度があり、現在の所有者名などが登記記録(登記簿)に記録されている。そして、Aが自分の所有する不動産甲をBに譲渡した場合には、AとBが共同して登記所に申請し、登記記録の所有者名をAからBに変更してもらう必要がある。なお、Aが所有者として登記記録に記載されていることを「Aが登記を持つ」または「Aに登記がある」、登記記録の所有者名をAからBに書き換えることを「AからBに登記を移転する」というように、あたかも登記が物であるかのように表現する。
日本の民法は「当事者の意思表示のみ」で所有権は移転する(第176条)と定めているので、不動産については登記を移転しなくてもその所有権は移転する(意思主義、登記の移転があって初めて所有権が移転すると定めている国もある)。不動産の売買が行われた場合には、原則としてその売買契約によって所有権が移転するというのが判例である。また、登記については第177条が「不動産に関する物権の得喪及び変更は」「登記をしなければ、第三者に対抗することができない」と規定している。「対抗する」という言葉は「主張して認めさせる」という意味であり、第177条は第三者に対抗するためには登記が必要と定めていることから、登記は不動産物権変動(不動産に関する物権の得喪及び変更)の対抗要件(対抗するための要件)であるという。また、第三者に対抗できる場合を「対抗力がある」と表現することもある。
さて、不動産を購入したにもかかわらず登記を移転しないでいた場合、どのようなことが起こるのであろうか。たとえば、Aが自分の所有する不動産甲をBに売却したのだが、登記を移転しないでおいたところ、Aは依然として登記記録(登記簿)上は自分が所有者として記録されていることから、自分が所有者であるとして不動産甲をCに売却し、Cに登記を移転したということが起きたとする(不動産の二重売買、二重譲渡)。ここで、AからBへの不動産甲の売買に注目すると、AとBが売買の当事者であり、Cは第三者となる。Bは、Aから不動産甲を購入して所有権を得たのであるが、そのことを登記をしていないので、第三者Cに対してはそれを主張(対抗)できない(第177条)。一方、AからCへの不動産甲の売買に注目すると、AとCが売買の当事者であり、Bが第三者となる。Cは、登記を得ているので、自分が不動産甲の所有権を得たことを第三者Bに主張できる(第177条の反対解釈)。したがって、BとCが不動産甲の所有権を争うときは、Cが所有者となる。結局、Bの方が先にAと売買契約を結び、不動産甲の所有権を得ていたはずなのに、登記を移転することを怠っていたために、後から出てきたCの方が先に登記をしてしまえば、Cに不動産甲をとられてしまう、という結果になる。Bの方が先に契約を結び、契約の時点で所有権はBに移転しているはずで、すでに所有者ではなくなっているはずのAがCに不動産甲を売却できるというのはおかしいと言えばおかしな話ではあるが、民法の規定に従えばこのような結果になる。民法という法律は人と人との間の権利と義務を規律するものであり、AとBとの間では所有権はBにあるとされ、BとCとの関係では所有権はA(AからCへの売却後はC)にあるとされるというように、人が違えば、権利・義務の存在も異なることがあるという程度に理解しておいて欲しい。
民法がこのように定めている理由は、上記の例のBが登記を怠っていたために不動産甲を失うことになったように、登記を怠っていると損失を被るとすることで、すみやかに登記をすることを促し、それによって登記記録が常に最新の状態に更新されることを意図したものである。登記記録が常に最新の状態に更新されていれば、不動産の取引をしようとする者は登記記録が現在の権利関係を表しているものと信頼して取引ができるようになるからである。
動産については、第178条が「動産に関する物権の譲渡は、その動産の引渡しがなければ、第三者に対抗することができない。」と規定している(引渡しが対抗要件)ので、動産の二重売買(二重譲渡)の問題が起きた場合には、先に「引渡し」を受けた者が所有権を得ることになる。しかし、動産の取引については、第192条の即時取得の規定がより重要である。第192条は「取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。」と規定している。ここでいう「占有」とは、物を(自分が利益を受ける意思で)現実に支配する(「所持」)ことであり、それが所有権などに基づくものでなくても一定の法的保護が認められる(第180条以下、刑法第242条参照)。そして、動産に関する物権の譲渡の対抗要件である「引渡し」は、この「占有」の移転である。第192条によれば、たとえば、売買契約(所有権の移転を目的とする「取引行為」)に基づいて売主から買主に動産が引き渡された(買主が「平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた」)場合、売主が本当の所有者ではない場合であっても、買主が「善意であり、かつ、過失がないとき」=売主が所有者ではないことを知らず、知らないことについて過失もないとき=動産を占有していた売主を所有者であると過失なく信じたときには、買主が「その動産について行使する権利」=売買は所有権の移転を目的とする取引行為なので、この例ではその動産の所有権、を即時に取得することになる。なお、「即時」取得という言葉は、他人の物を「平穏かつ公然に」10年または20年占有を継続することによってその物の所有権を取得する時効取得に対して、「即時」取得と言われたものである。
簡単に言えば、即時取得とは、ある動産の本当の所有者はAであるが、その物をBが占有しているために外見上Bが所有者であるかのように見える場合、その占有を信頼してBから買い取ったCが所有権を得ることができる(その反射としてAは所有権を失う)というものであり、このようにすべきだという考え方を「取引安全」または「動的安全」という。それに対して、このような場合でもAが所有者であり、AはCに対してその物の返還を請求できるとする考え方を「静的安全」という。「静的安全」が原則ではあるが、とりわけ迅速な取引が求められる動産については「動的安全」の要請が強く、それに対応した規定が第192条の即時取得である。それは、動産についてはその占有を信頼して取引をした者は保護を受けられるということであり、それを「動産の占有には公信力がある」という。一方、不動産については、日本の民法が制定された明治時代においては、不動産の取引はさほど頻繁ではなく、また不動産は特別に高価な財産であると考えられていたことから、不動産については「動的安全」の要請は弱かったため、登記を信頼して取引をした者は保護を受けられるという規定は存在しない(不動産登記には公信力がない)。しかし、現代の日本においては、不動産の取引も活発であり、また不動産が特別に高価な財産とは言えなくなってきていることから、不動産登記にも公信力を認めるよう民法を改正すべきであるという意見も強くなってきている。