事件・事故が起きて損害を被った人(被害者)が出た場合、それに対して何の対処もせずに被害者がその損害を負担したままであるとすれば、被害者は救われない。その事件が刑事事件であり加害者に刑罰が科されたとしても、同じであろう。そこで、被害者の被った損害を埋め合わせる(補塡(ホテン)する)ことが求められるが、そのためには被害者以外の誰かがその損害を負担しなければならないことになる(被害者以外の誰かに損害を転嫁する)。民法でこの問題について定めているのが「第3編 債権」の「第5章 不法行為」であり、とりわけ多くの事件に適用されるのが第709条の規定である(一般的不法行為と呼ばれる)。第709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定めている。この規定の要件が満たされた場合には「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者」(加害者)が被害者の損害を賠償する、つまり、被害者の損害を加害者に負担させる(転嫁する)ことが定められている。また、この規定によれば、加害者であっても「故意又は過失によって」でなければ損害賠償責任を負わないことになる。言い換えると「損害賠償を請求できるのは、加害者に故意または過失があった場合のみである」となり、これを過失責任の原則という。この原則が認められず、「故意も過失もなくても結果的に他人に損害を与えた場合にはすべて損害賠償をしなければらない」というのが法であるとしたら、人は損害賠償義務を課せられることをおそれて行動が萎縮(イシュク)してしまうことになるであろう。市民革命を経て作られた近代以降の法においては人の行動の自由はとても大切なものと考えられているため、人の行動を萎縮させてしまうことも望ましくないとして、過失責任が原則とされている。さらに言えば、一般的不法行為では加害者に「故意または過失」があることが加害者が損害を負担すべき根拠でもある。
ところで、交通事故の場合については自動車損害賠償保障法という特別法があり、自動車を運行する者(運行供用者)には民法第709条に比べて加害者が損害賠償義務を課せられる場合が広く認められている(過失がなくても責任を負わなければならない無過失責任ではないが、それに近いものとして中間責任と言われる)。自動車の運行供用者にこのような厳しい責任が負わされている根拠はどこにあるのであろうか。現在の日本でも多数の交通事故死者が出ていることから考えて、自動車は危険なものであると言える。しかし、一方でその社会経済的な有用性は高く、自動車の利用を禁止することも望ましくない。そこで、自動車の利用を認める一方で、自動車の持つ危険性が実現した場合の損害はその利用者が負担するものとされたのである。このような「危険なものを持つ者は、その危険が実現した場合の損害も負担すべきである」という考え方を危険責任といい、自動車損害賠償保障法のほか、原子力損害の賠償に関する法律(無過失責任)、民法では第717条の土地工作物責任(所有者は無過失責任、占有者(実際に管理している者)は中間責任)においてとられている考え方である。また、先ほど述べたように自動車の有用性は高く、自動車の利用者は自動車を持つことから生じる利益を得ているのだから、自動車から生じた損害も負担させるべきだとも考えられる。このような「それから利益を得ている者がそれから生じる損害も負担すべきである」という考え方を報償責任といい、民法では第719条の使用者責任でとられている考え方である。第717条の土地工作物責任や第719条の使用者責任は、第709条とは異なる要件で損害賠償義務が課されるので、第709条の一般的不法行為に対して特殊な不法行為と言われる。
過失責任の原則は、近代以降に認められた原則であり、現代でも原則である。しかし、自動車や原子力発電所などの危険な物が増加したことなどにより、過失責任の原則に従うと被害者の救済が不十分となることから、一定の場合には過失がなくても加害者に損害賠償義務が課される場合(無過失責任)が認められるようになってきている。
不法行為制度は、まず第一には、被害者の救済のためにある。既に述べたとおり、損害が発生した場合に、その損害を加害者に賠償させることによって損害を加害者に転嫁し、被害者を救済するものである。
自動車と歩行者とが交差点で接触事故を起こした場合、歩行者が被害者となり自動車の運転者が加害者となる。この事故が、歩行者が青信号で横断しようとしていたところに赤信号を無視した自動車が交差点に進入して事故が起きたというのであれば、自動車の運転者(加害者)に全損害を負担させることが妥当であり、被害者は加害者に対して全損害の賠償を請求できるとすべきであろう。しかし、歩行者が赤信号を無視して横断しようとしたところに自動車が青信号で交差点に侵入して事故が起きたというケースでは、自動車の運転者(加害者)に全損害を負担させるのは妥当ではなく、被害者にも相応の負担をさせるべきであろう。そのため、この場合でも被害者は加害者に対して損害賠償を請求することはできるが、賠償が認められるのは全損害ではなく減額されたものとなる(第722条第2項)。これを過失相殺(カシツソウサイ)という。過失相殺によって損害賠償額が減額された場合、減額された分は被害者が負担するということである。このように不法行為があった場合に、常に加害者が全損害を負担することになるわけではなく、被害者も一定の負担をすることがあり、損害を公平に分担させることが不法行為制度の趣旨の2つ目である。
製造物責任というものがある。製造物の欠陥によって人の生命・身体・財産に損害を与えた場合に、その製造物の製造業者が賠償責任を負う(製造物責任法)というもので、不法行為の一種である。この製造物責任法の第1の目的は被害者救済であるが、法律でそのように定めることによって製造業者に製品の欠陥をなくすよう促すことも目的としている(製造物責任法第1条)。一般的に言えば、将来の不法行為を抑止することも不法行為制度の趣旨の1つである。これは刑法(犯罪の抑止を目的とする)と共通するものであり、実際に生じた損害の額を超える賠償義務を課す懲罰的損害賠償といったものもこの考えからは出てくる。なお、懲罰的損害賠償はアメリカでは認められているが、日本では現在認められていない。
第709条一般的不法行為の要件を詳しく見ていこう。1つ目の要件である「故意又は過失によって」=「加害者に故意または過失があること」については既に述べた。
2つ目の要件「他人の権利または法律上保護される利益を侵害したこと」の部分は、民法制定当時は「他人の権利を侵害した」と書かれていた。そのため、1914年の雲右衛門事件判決は、文言通り権利の侵害がなければ損害賠償請求は認められないとしたが、それでは損害賠償が認められる場合が狭すぎると批判された。そして、1925年の大学湯事件判決は、権利でなくても法律上保護される利益の侵害があれば損害賠償請求は認められるとした。では、利益の侵害があれば常に損害賠償請求が認められるべきだろうか?たとえば、Aというパン屋が営業していて、その近所にBというパン屋が開業したとする。それによってパン屋Aの営業利益が減少し、損害を被ったとしても、パン屋Bが通常の営業をしているにすぎない場合には、損害賠償請求は認められるべきではないだろう。しかし、デマを流したり、暴力を振るうなどしてパン屋Aの営業を妨害した場合には、それによるパン屋Aの営業利益の減少については損害賠償請求が認められるべきであろう。どちらも同じ営業利益の侵害であるが、侵害行為の悪性も考慮して違法に利益を侵害した場合に損害賠償請求は認められるというのが現在の一般的な考え方である(違法性の要件)。これは法律の文言からはかけ離れた「解釈」である。このように「法律の解釈」は、どのような法が望ましいかという観点から行われるものであり、「立法」と類似する行為である。
3つ目の要件は「生じた損害」=損害が発生したことである。第2講でも述べたように、損害が発生していない(被害者がいない)場合であっても刑罰が科せられることはあるが、損害が発生していなければ不法行為(損害賠償)の問題とはならない。この損害の中には、物が壊れたとか、治療費を支出したといった財産的損害だけでなく、精神的苦痛などの非財産的損害も損害に含まれる(第710条)。精神的苦痛に対する損害賠償を慰謝料という。また、既存の財産の減少である積極的損害だけでなく、事故にあって仕事を休んだためその間収入を得られなかったというような、増加するはずの財産が増加しなかったという消極的損害(逸失利益(イッシツリエキ)、得(ウ)べかりし利益)も損害に含まれる。
4つ目の要件は「これによって生じた損害」の「よって」の部分=加害者の行為によって損害が発生したこと=加害者の行為と損害との間の因果関係である。加害者の行為が原因となって生じた損害についてのみ加害者は賠償責任を負う。これを自己責任の原則という。法的には当然と思われる考え方であるが、実際の裁判(事件)では、公害事件や薬害事件など、本当に因果関係があるのかどうかが問題となることも多い。
5つ目の要件は、第709条ではなく、第712条・第713条に規定された「自己の行為の責任を弁識する能力」(責任能力)である。加害者に責任能力があったか否かは個別具体的に判断され、責任能力のない者に損害賠償義務を課すのは酷であるため、責任無能力者は損害賠償義務を負わないとされている。そして、その場合には「その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」(監督義務者)や「監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者」(代理監督者)が賠償義務を負う(第714条)。未成年者であれば、親権者が監督義務者であり、その未成年者が学校にいる間は学校が代理監督者となる。未成年者については、12〜13歳くらいから責任能力があると判定されることが多い。加害者に責任能力があったと判定された場合には、第714条の規定によって監督義務者等が賠償義務を負うことはない。しかし、未成年である間は親権者に監督義務があるため、親権者の監督義務違反と損害発生との間に因果関係があった場合には、第709条により親権者にも損害賠償義務が課されることがある。
不法行為の要件が満たされた場合、効果として加害者は被害者の損害を賠償する義務を負う(第709条)。損害賠償は、原則として金銭を支払うことによって行う(金銭賠償の原則、第722条第1項による第417条の準用)。例外として、名誉毀損の場合には「名誉を回復するのに適当な処分」(謝罪広告など)が命じられることもある(第723条)。
第2節で述べたが、損害の発生または拡大について被害者にも過失があった場合は、公平の観点から、被害者の過失も考慮して損害賠償の額を定めることができる(過失相殺、第722条第2項)。また、被害者が損害を被ったのと同じ原因から利益も受けていた場合に、損害額からその利益の額を差し引いて損害賠償の額が決定される(損益相殺)。たとえば、被害者死亡の場合、被害者の年収に就労可能年数をかけて逸失利益が計算されるが、一方でその収入を得ていたであろう期間の生計費を支出する必要がなくなっているので、生計費を差し引いて損害賠償の額は決定される。
損害賠償の額はどのように決まるのか、いくつか例をあげよう。
まず、不法行為によって物が破壊された場合(滅失)、原則として不法行為の時点でのその物の市場価格によって損害額は算定される。傷つけられたが破壊までいかなかった場合(毀損(キソン))には、その物の修繕費が原則であるが、修繕が不可能であったり、修繕費が市場価格を上回る場合には、市場価格となる。
病気やケガなどの健康被害の場合には、その治療や介護などに要する費用のほか、治療期間中休業したため収入が得られなかった場合にはその額(逸失利益)、さらに障害が残り労働能力の喪失または低下を生じ、それによって将来の収入が減少する場合にはその額(逸失利益)なども損害に含まれる。
被害者が死亡した場合(生命侵害)には、死亡までの治療費や葬祭料のほか、被害者本人が生きていれば将来得られたであろう収入の額(逸失利益)についても被害者の相続人が損害賠償として請求することができる。逸失利益計算の際には、その間の生計費が差し引かれる(損益相殺)。なお、生命保険金や遺族の受け取る香典・見舞金などは損益相殺の対象とはならない。
最後に、民法の勉強という点からは細かな話といえるのだが、損害賠償とは異なる利害調整(問題の後始末)に関する規定を説明しておく。
1つは、不当利得である。たとえば、お店で買い物をしたらお店の側が誤って釣り銭を多く渡してきたとか、口座振り込みで、口座番号を間違って別の人に送金してしまったとか、あるいは口座番号はあっているが誤って本来の金額よりも多くの金額を振り込んでしまったといった場合の問題である。こういった場合にはもちろん、それらを返還しなければならないのだが、それについての規定が第703条不当利得である。第703条は「法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。」と定めているので、不法行為と同様に損失(損害)の発生が要件であるが、故意・過失は要件ではなく、代わりに「利益を受け」たことが要件となっている。上記の例では、ある者が損失を被り、それによって別の者が利益を受けているが、受益者がそうなるように仕向けたわけでもなく(受益者の「行為」がない)、もちろん故意・過失も存在しないので、不法行為の規定(第709条)は適用されず、不当利得の規定(第703条)のみが適用され、受益者は得た利益を返還する義務を負うことになる。契約が有効だと思って金銭や商品を給付したのだが、その後で実はその契約は無効であったということが分かった場合も、契約が有効であればその契約が「法律上の原因」であるが、その契約が無効であれば「法律上の原因」がなかったということになるので、受け取った金銭や商品を返還しなければならない。これも一種の不当利得であるが、2017年改正により、このような場合を対象とする明確な規定が設けられた(第121条の2)。
もう1つは事務管理である。たとえば、迷子になっている他人のペットの犬を見つけて保護し、餌を与えるなど世話をした後で、飼い主が見つかったのでその犬を引き渡したという場合、餌代などの費用を飼い主に請求することができる。第697条第1項は「義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。」と規定しているので、ここでいう事務管理とは、契約や法律などによる義務がないのに、他人のために事務の管理をすることである。義務がないのであるから、事務の管理をしなくてもよい(迷子の犬を保護しなくても良い)のだが、いったん事務管理を始めた以上は、「最も本人の利益に適合する方法によって」事務を管理しなければならない(第697条第1項)、本人等が管理できるようになるまで管理を継続しなければならない(第700条)などの義務が課される一方で、本人に対して費用の償還を請求できる(第702条)。